大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成10年(刑わ)3098号 判決 2000年5月23日

本籍 《省略》

住居 《省略》

自動車運転手 A

昭和四〇年六月一一日生

右の者に対する業務上過失致死被告事件について、当裁判所は、検察官鏑木伸生出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を禁錮二年に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人B、同C、同D、同E、同F子に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成九年一一月二八日午前七時五〇分ころ、業務として大型貨物自動車を運転し、東京都世田谷区砧一丁目一五番先の信号機により交通整理の行われていない交差点を狛江方面から渋谷方面に向かい先行車両に追従して直進し、車両渋滞のため先行車両が停止したのに続いて、同交差点渋谷方面出口に設けられ、歩行者用及び車両用信号機が設置された横断歩道上に一時停止した後、先行車両に続いて発進・進行するに当たり、同横断歩道上及びその直近を横断する歩行者の存在することが予想されるのであるから、これらの有無及びその動静を確認して発進・進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同横断歩道上及びその直近を横断する歩行者の有無及びその動静を確認しないまま漫然発進し、徐々に加速して進行した過失により、折から右方から左方へ自車の前面を横断歩行していた片山隼(当時八歳)に気付かないまま、自車右前部を同人に接触させ、さらに自車左前方へ駆け抜けて衡突を逃れようとした同人に自車前部中央付近及び左前部を順次衡突させて路上に転倒させ、同人を左前輪及び左後輪でれき過し、よって、同人を全身挫滅により即死するに至らしめた。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人等の主張に対する判断)

一  被告人は、自己の運転する大型貨物自動車(以下「被告人車両」という。)で片山隼(以下「被害者」という。)をれき過し、死亡するに至らしめたこと(以下「本件事故」ともいう。)を認めた上で、ただ本件事故を起こしたこと自体を気付かなかったし、その際の具体的状況については覚えていない旨供述し、これを受けて弁護人は、被告人が本件事故を惹起した事実は認めるものの、被告人には過失が認められず、無罪である旨主張する。その主張の要旨は、検察官は、本件事故の目撃者とされる証人Cの供述を最大の根拠として被告人の過失が認められると主張しているが、C供述は、その内容の信用性、正確性に疑問があり、同供述に依拠することはできず、したがって本件事故の客観的発生状況が明らかでない以上、被告人の過失を認めるに足りる証拠がない。また、仮にC供述が正確であるとしても、それにより認められる本件事故の発生状況に照らすと、被告人が被告人車両の発進に当たって安全を確認した時点では、被害者は未だ道路中央付近で被告人車両の方に反転する前であり、その後被害者が反転して被告人車両の方に向かい、その前部に達した際には、被告人車両は既に前進走行中あるいは走行段階に至っており、そのような段階にある被告人にはアンダーミラー、サイドアンダーミラーを確認しながら走行すべき注意義務は存在せず、被告人には過失がない、というものである。

当裁判所は、判示事実を認定し、被告人の過失責任を認めたので、以下必要な限度で説明する。

二  本件においては、事故の発生状況及びその前後の模様を直接目撃した者として、C及びG子が存在するところ、両者の供述(捜査段階の供述を含む。以下同じ。)間には整合しない部分が多く、弁護人主張のように、事故の発生状況が必ずしも明確でない点があるが、両供述並びにD作成の鑑定書(甲一〇)、同人の公判供述(以下、右二つを併せて「D鑑定」と総称する。)、各種の実況見分調書、写真撮影報告書等の関係証拠を総合すると、確実なところとして以下の事実が認められる。

1  被告人は、本件当日、被告人車両を運転し、世田谷通りを西方の狛江方面から東方の渋谷方面に向けて走行し、東京都世田谷区砧一丁目一五番先の交差点(以下「本件交差点」という。)に差しかかった。同交差点は、片側一車線の道路で概ね東西に走る世田谷通りと北西の砧二丁目方向から南東の砧公園方向に通じる道路とがやや斜めに交差する変形十字路の交差点であり、交差点自体には信号機が設置されていないが、交差点の東側渋谷方面出口の世田谷通り上には、歩行者用及び車両用の信号機が設置された横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)が設けられている。本件当時、本件交差点付近の渋谷方向車線は渋滞していた。

2  被告人は、先行車両に追従して青信号で本件交差点内に進入したが、渋滞のため本件横断歩道上に停止した。被告人車両の停車位置は、その最前部は横断歩道渋谷方向側を少し残した地点にあり、最後尾は横断歩道狛江側端を超えており、本件横断歩道は、ほぼ被告人車両によって塞がれていた。

3  被告人車両が、本件横断歩道上に停止している間に、歩行者用の信号機が青信号に変わり、G子ら横断者が被告人車両の前面を通過して世田谷通りを横断した。

4  その後、被告人は、先行車両が発進したので、それに追従し、発進、進行した。一方、被害者は、本件事故の直前、本件横断歩道上を被告人車両の前面を右(以下、左右の方向は被告人車両の進行方向を基準として示す。)から左方向に通過して歩行しようとした。そして、被害者は、被告人車両の右前部に出たところで、発進、進行してきた被告人車両の前部バンパー右側部分に接触して押し出され、さらに左前方車道上へ駆け抜けて衝突を逃れようとしたが、前進走行を続ける被告人車両の前部バンパー中央付近及び車体左前部に順次衝突し、本件横断歩道渋谷側端から渋谷方面に約六・八メートルの地点で路上に転倒させられ、被告人車両左前輪で右鼠径部付近をれき過され、さらに、左後輪で背面から胴体、頭部等をれき過された。

三  これに対し、弁護人は、C供述及びD鑑定はいずれも信用性がなく、被害者が被告人車両の前面を右から左に向かって進行していたこと及び被告人車両の左前輪でれき過されたことを認定するに足りる証拠はない旨主張する。

1  まず、Cは、被告人車両の対向車線を進行して東方から本件交差点に差しかかり、赤信号のため本件横断歩道手前で停止した先頭車両を運転していたというものであるが、C車に相応する車両の存在は本件発生直後からG子が供述していたところであり、当時のCの位置に照らすと、その目撃状況についての供述内容は極めて自然なもので、特に不合理な点もない上、D鑑定その他の関係証拠にも裏付けられているということができる。

弁護人は、C供述は、①供述内容が歩行者用信号機の信号変化のサイクルと矛盾し、②本件事故直後に一一〇番通報したと供述するにもかかわらず、そのような事実がないことなどからして虚偽である旨論難し、さらに、③事故直前の被害者の動向に関するG子供述とも食い違っており、信用できないと主張する。しかし、①そもそもG子らが信号の変化に即応して直ちに行動を開始し、被告人車両に本件横断歩道をほぼ塞がれ、かつ、その先行車両との間隔も接近していた状況下で、通常と同程度の時間で横断歩行できたとは考え難い上、Cは事故の発生を予測して本件交差点の状況を注視していたものでもないから、同人の述べる歩行者や被告人車両等の動向について、その前後関係はともかくとして、秒単位の機械的正確性まで求めることは相当とは思われない。また、②Cの一一〇番通報に関する供述内容が捜査段階から公判廷まで徐々に変遷していることは所論指摘のとおりであるが、Cが本件事故直後に本件交差点南西角のコンビニエンス・ストア駐車場で一一〇番通報しようとした際の周囲の状況に関する供述内容は、そのころ一一〇番通報したことが証拠上明らかなG子やHの供述によく符合しており、Cが述べる一一〇番通報に関する供述変遷の理由もそれなりに理解できることに照らすと、この点をもって本件事故の目撃状況自体についてのC供述の信用性を揺るがすものではない。仮にCが事実を作為して供述しているのであれば、客観的に明らかとなることが容易に予測される一一〇番通報の有無について、あえて虚偽の事実を述べるものとは思われない。さらに、③G子は、本件事故発生当初から目撃状況を捜査機関に供述しており、その真摯で誠実な供述態度からしても、にわかにその信用性を疑うべき事情は見出し難いところ、同人によれば、本件事故直前に被害者が前記駐車場前歩道の方から本件交差点南東角付近で信号待ちをしていたG子の方に向かって走ってくるのを見たというのであり、被害者が世田谷通り北側から横断を開始し、道路中央付近で反転して北側歩道上に戻ろうとして、本件事故に遭った旨のC供述と相反する供述内容となっている。しかし、同時にG子は、事故直前に本件横断歩道上で北側から横断を開始した被害者とすれ違った趣旨の供述をもしているのであって、その供述を全体としてみるとき、事故自体の目撃状況についての印象が強く、本件事故発生前の被害者の動向については必ずしも明確とはいい難いものがある。このような本件における関係各証拠の内容、状況に鑑み、当裁判所は誤りないところとして前記二の限度で事実を認定したものであり、その事実関係の範囲では、G子供述によって本件事故状況の大筋に関するC供述の信用性は左右されない。

そのほか、弁護人が種々主張するところを検討しても、関係証拠に照らし、いずれも理由がなく、前示認定に沿うC供述の主要部分は十分信用できる。

2  次に、D鑑定は、本件事故にかかる資料から被告人車両に残された生地痕、血液痕等の痕跡や被害者身体の状態所見などを分析し、その結果前示認定のような被害者の挙動、れき過状況を結論付けたものであるところ、同鑑定は、被告人車両を当日撮影した写真や被害者の写真、鑑定書(甲九)等の客観的資料を中心にして、従前の多数の鑑定経験を踏まえて交通工学や法医学等の知識からなされたもので、鑑定の資料や過程に作為的、不自然なところはなく、その内容も客観的かつ合理的で十分理解できるものとなっている。例えば、被害者の歩行速度など客観的な事実を明らかにすることが不可能な点については、実験を行うなどして合理的な推定をした上で鑑定の資料にするなど科学的かつ慎重な方法を用いている。そして、Dは、昭和六一年ころから、警察官として交通事故の解析等を担当し、これまでにも三〇〇件以上の鑑定を行ってきた経歴を有している上、本件鑑定についての公判廷での供述は弁護人の執拗な反対尋問にも揺らぐ点はない。D鑑定は、それ自体信用性が高い。

これに対して、弁護人は、被告人車両に残された痕跡が他の機会に残されたものではなく、被害者との接触で生じた生地痕であるか疑問がある上、それ自体から被害者の挙動を判断することは不合理であると主張するが、D鑑定は、本件事故発生後三、四〇分後に発見され、その後警察官に運ばれた被告人車両を、自ら見分し、本件事故後二時間程度のうちに発見場所あるいは警察で撮影した写真を使用したもので、痕跡が薄く埃をかぶった車両の上に真新しく残されたものであることや被害者の身長や服装との整合性などが検討された上での判断であり、そこには特段不合理な点はみられない。

また、弁護人は、I作成の意見書二通(弁一六、一七)、補足説明書(弁一八)及び同人の公判供述(以下、これらを併せて「I意見」と総称する。)によれば、被告人車両前輪で被害者がれき過されたことはないとしていることなどから、D鑑定のように結論することの不合理性を主張する。確かに、D鑑定によれば、被害者はやや上向きに転倒して前輪で右鼠径部をれき過され、さらに後輪で背面から身体の中央を胴体から頭部方向にれき過されたとされるが、その間の被害者の動きは明らかではない。しかしながら、D鑑定は、被害者の右鼠径部にはタイヤによるものとみられる稲妻型の出血斑があり、それが被告人車両前輪の溝形状と合致すること、被告人の前輪には血痕が見当たらないことなどを根拠として右結論に至っている。そして、被害者が後輪でれき過された瞬間を目撃したG子は「被害者が被告人車両の左前部に転倒し左前輪でひかれると思って目をつぶり、目を開いた時に左後輪が被害者の頭部をひいた」旨供述しているところ、右結論はG子の供述とも合致する。他方、I意見によれば、被害者の右鼠径部の出血斑はうつ伏せ状態の被害者に上からタイヤで圧力がかかりできたものと考えられるとしているが、後輪のみのれき過では鼠径部と身体中央に生じた被害者の二つの痕跡の説明が付かない。また、I意見によれば、本件事故は、被害者が被告人車両の前輪と後輪の間に滑り込むようにして惹起されたものということになり、G子、Cら事故状況及びその前後の経緯を目撃した者のいずれの供述にも合致せず、本件事故の発生態様としては関係証拠に全く沿わず、著しく不合理といわざるを得ない。I意見等を考慮しても、D鑑定の信用性は減殺されない。

さらに、弁護人は、D鑑定書(甲一〇)は、Cが平成一〇年の夏ころに目撃者として名乗り出た後に作成されたもので、作成経緯が不自然であり、Cが「被害者は初め、被告人車両の左側歩道から本件横断歩道を進行してきたが、世田谷通り中央を超えた辺りで反転し、被告人車両の前面を右から左方向に進行し、その際、被告人車両にれき過された」と供述する内容に沿った結論を導くため、演繹的に作成されたものであると主張する。しかし、Dは「事故直後から被害者の動きは概ね推定しており、その結論は鑑定書でも変わっていない。平成一〇年八月ころに検察官と警察官から相談を受けたので、鑑定書を作成した。C供述は知っていたが、鑑定においては、被告人車両の停車位置、衝突位置等についてそれに依ったに過ぎない」と供述しており、その内容は合理的かつ自然なもので、G子が事故発生後間もなくから、前記のとおりD鑑定に沿う内容の供述をしていたこと、D鑑定の資料とされている被告人車両前部バンパー等の部分写真は、事故直後の段階でDの指示の下にそれと意識して撮影されたものであること、被告人車両と接触するに至る間の被害者の挙動に関する鑑定内容がC供述と相違していることなど、関係証拠より認められる諸事情からしても十分信用できる。本件事故当日に被告人が逮捕され、事故を認めていたこと、その半年以上後にCが目撃者として名乗り出たことなどの本件捜査等の経緯に照らしても、D鑑定書の作成に特段不自然な点はみられない。

そのほか、弁護人は、D鑑定に対し、作成経緯、鑑定手法、内容等に合理性がないとして種々主張するが、関係証拠に照らし、いずれも理由がない。そして、D鑑定その他の証拠によれば、C供述を除いても、前記二4の事実について認定することができる。

四  次に、被告人の注意義務について検討する。

1  車両の運転者が、発進、進行する際に、車両の進行方向及び左右や周辺を注視して、歩行者や横断者の有無及びその動静を確認する注意義務を負うことはいうまでもないところ、その安全確認に当たっては、自車が発進、進行しようとしている場所、その状況、自車からの視界の特性等を把握した上で、それに相応した確認が必要というべきであり、特に、見とおしの悪い場所や車内からの死角がある場合には、そのことを認識し、それにより生じ得る危険を予測して、時々刻々と移り変わる状況の変化に応じ、的確に危険を回避し得るだけの安全確認を尽くす措置を講じることが必要である。

2  そこで、関係証拠に照らし、これを本件についてみるに、被告人は、乗車位置が高く、車体周囲に広範囲の死角が生じる大型貨物自動車を運転し、交差点出口に設けられた横断歩道上に横断歩行者の通行部分をほぼ塞ぐ形で一時停止していたのである。被告人は、長年被告人車両を運転していたのであるから、その車体周辺の視認状況が悪いことは当然よく認識していたものと認められる。また、世田谷通りは何回も通ったことがあり、その道路状況も承知していたはずのところ、本件横断歩道は明確に道路表示され、かつ歩行者用及び車両用の信号機が設置されているのであるから、その存在と前後の位置状況についてもよく認識できていたはずである。さらに、本件当時、世田谷通りは交通渋滞しており、被告人は低速進行と停止を繰り返していた上、公判廷でも本件交差点手前から発進したときは対面の(本件横断歩道に設置された車両用信号機の)青信号を確認して出たと思う旨述べているのであるから、その後交差点出口付近まで進行し先行車両に続いて停止した状況からして、自車が横断歩道上ないし、少なくともその付近に停止していることは十分認識できたはずであると認められる。このような状況下で発進、進行するに当たっては、被告人は、車両の停車位置、発進時の信号、信号が変わったばかりであるかといった時期、横断歩道上やその付近の視界、特に死角になる部分があり得ることなどを前提として、横断歩道上及びその付近を横断する人の有無や動静を確認する義務を負うものと解される。そして、被告人が停車中に歩行者用信号が青色になり、被告人車両の前面を横切って横断する者が現に存在していたこと、被告人車両が横断歩道を塞いでいるために横断歩行者の進路が限定されていたこと、被告人が発進、進行したのは、被告人に最も有利にみても、歩行者用信号が赤を呈してから間もないときであって(Cは、被害者が横断途中で歩行者用信号が赤に変わったので、被害者が反転し、それとほぼ同時に被告人車両が動き出した旨供述し、G子は、歩行者用信号が青に変わるのを待って、右から左方向に横断し、横断し終わって直ちに振り向くと、被告人車両が動き始めていて、被害者がひかれそうであった、そのときは歩行者用信号はまだ青ではなかったかという感覚である旨供述する。)、そのような時点では、一般的に横断歩道を渡り切れなかった者や駆け抜けて行こうとする者がいる可能性は十分予測されること、そのような横断者が身長の低い児童等であれば自車からの発見がより困難であるところ、折から登校時間帯であったことなどの関係証拠から認められる本件当時の具体的状況に照らせば、被告人には、単なる走行中のように自車の前方を直接目視により注視するというだけの方法ではなく、かかる状況に即したより慎重な方法をもって、アンダーミラーやサイドアンダーミラーをも利用するなどして周囲の横断者の存在及び動静を確認しながら、さらに車内からの死角を考慮の上、いつでも危険を回避できるように安全確認を尽くしつつ発進、進行すべき注意義務があったというべきである。被告人は、横断歩道先が渋滞しているにもかかわらず、先行車両に追従して横断歩道内に入り、本件のようにそこに停止しなければならない状況を自ら招いたのであるから、被告人が右のような注意義務を負わねばならないことは当然である。

3  これに対して、弁護人は、被告人車両は、被害者が被告人車両の前部付近に達したときには、既に走行段階に入っており、そのような被告人には、前方注視義務があるだけで、アンダーミラーやサイドアンダーミラーにより横断者の有無やその動静を確認するまでの義務を負うものではないと主張する。

しかし、本件は、車の流れに沿って車道を巡行しているような場合とは明らかに異なり、横断歩道上に停車した後に発進して前進走行を開始する際の注意義務が問われているのであって、かかる具体的状況下においては、被告人に前記のとおりの注意義務が認められるべきである。弁護人は、本件事故発生に至るまでの状況を各場面に分断した上で、発進操作の段階と走行段階を峻別して、被告人に注意義務がない旨縷々主張しているが、少なくとも横断歩道付近を過ぎ去るまでは、発進時と同様の状況が継続しているのであるから、そのようにみることはできない。弁護人の主張に従えは、本件のような状況の場合であっても、車両の運転者はいったん発進態勢に入った後は、直接目視できない以上、その存在が十分予想される自車周辺における横断歩行者等の安全を一切無視してもよいということに帰しかねず、明らかに不合理である。弁護人の主張は、本件の具体的状況を等閑視するもので、採ることができない。

五  以上を前提に、被告人の過失責任について検討する。

1  被告人は、公判廷において、本件事故当日のことについて、事故を起こしたことには気付かなかったし、本件横断歩道上に、それを塞ぐような形で停止したことの有無や横断歩道を渡る者がいたこと、被害者の姿などについてはいずれも覚えていないと供述し、さらに、本件当日も信号に従って走行しており、車両の発進、進行に当たっては、通常のように安全確認をしていると思う旨供述するところ、事故発生から一時間も経たないうちに本件事故を知った被告人にとっては、本件交差点で被告人車両が本件横断歩道を塞いで停車したことを認識して、それ相応の安全確認をしていたのであれば、本件事故を知った際にその状況を容易に思い出し得るはずであり、前後の事情を具体的に供述することは決して困難ではないはずである。そうすると、本件事故において、被告人が発進、進行するに当たり、自車の置かれた状況等を的確に把握して安全確認をした事実はなかったと認められ、たとえ安全確認をしていたとしても通常行う程度のものにとどまり、本件で被告人が行うべき前記説示のような注意義務を果たしてはいなかったものと認められる。本件事故の発生状況や前後の経緯を目撃した者らが述べる被告人車両の動静からしても、このことはよく裏付けられる。被告人にはその点の注意義務違反が認められる。

なお、検察官は、被告人の捜査段階の供述調書を援用するなどして、被告人が十分な安全確認を行わずに被告人車両を発進、進行させた原因として、同僚との無線交信に気をとられていたことを指摘する。しかしながら、本件事故現場付近で無線交信をしていた事実については、被告人自身が検察官調書において既に実質上否定しており、事故直後に逮捕されて以来の取調べにおいて、事故に全く気付いていない方が落ち度が大きいと考え、捜査担当者から何かしていなければ気付かないはずがないと示唆されて、考えられるとすれば無線交信くらいしかなかったので、そのように述べた旨の被告人の公判供述は、被告人の被害者の両親に対する全般的な説明振り(甲五三、弁二〇)等をも勘案すると、一概に不合理なものとして排斥し難いものがある上、捜査初期の時点で被告人が再現した無線交信の姿勢(甲二〇等)をとりつつ、被告人車両の発進操作を行うにはかなり無理があること、交信の相手方とされるJの公判供述の内容が被告人のそれと概ね符合するところなどからして、証拠上、被告人が無線交信に気をとられたため被害者の発見ができなかったとまでは認めることができない。

また、関係証拠に照らすと、被告人が前記のような注意義務を尽くしていれば、自車付近ないしその前面を横断歩行中の被害者の姿を発見確認でき、本件事故の発生を未然に防止できたものと認められる。

2  これに対し、弁護人は、本件事故においては、被害者が被告人車両前部に至るまでの挙動や被告人車両の発進、走行状況との関係等を明らかにするに足りる証拠がなく、したがって、被告人の過失を認定するだけの証拠がない旨主張する。

確かに、前示のとおり、右の点については目撃証言であるC供述とG子供述との間に矛盾や不整合な点があり、それぞれの供述自体にも弁護人指摘のような信号変化のサイクルと合致しないなどの問題点が認められ、いずれの供述についても、それだけを直ちに全面的には信用できない点を含んでいる。

しかしながら、本件は、いわゆる飛び出し事故とは明らかに異なっており、被害者が横断歩道を横断し始めた際には歩行者用信号は赤ではなく、被告人車両が横断歩道上で発進しようとした時点で、既に被害者が横断歩道上にいたこと、それにもかかわらず被告人は横断歩道上の被害者の姿を全く認識しておらず、自車が停止している横断歩道上の他の歩行者すら確認していないことなどの証拠関係が認められる。それ故、前記説示の限度で被告人の過失は十分認定できるのであって、被告人の過失の有無に関する判断は弁護人指摘の点がすべてつまびらかではないことに影響されるものではない。

以上のとおりであり、そのほか弁護人が種々主張するところについて仔細に検討しても、いずれも理由がないことに帰し、関係証拠に照らせば、判示の事実が認められ、被告人は本件事故に対する過失責任を負うものというべきである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条前段に該当するところ、所定刑中禁錮刑を選択し、所定刑期の範囲内で、被告人を禁錮二年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用中、証人B、同C、同D、同E、同F子に支給した分は刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

一  本件は、大型貨物自動車を運転する被告人が、横断歩道上に一時停止した後、発進、進行するに当たり、その状況に相応した十分な安全確認をしなかった業務上の過失により、被告人車両の前面を横断しようとした通学途上の小学生を、これと気付かないままにれき過し、その場で死亡させたという事案である。

二  被告人は、大型貨物自動車を運転し、渋滞のため交差点出口の横断歩道上に横断歩道部分をほぼ塞ぐ形で停止したにもかかわらず、自己が置かれた状況を的確に把握せず、横断歩行者の有無や動静についての十分な安全確認を怠ったまま、漫然と発進、進行したもので、その過失は、車両の大きさ、構造等からして、車体の周囲に広範囲の死角が生じ、ひとたび歩行者等との事故が起きれば極めて深刻重大な結果を招来しかねない大型貨物自動車の運転者にとって、基本的な注意義務に違反するものというべきであり、本件過失の態様は悪い(もっとも、検察官は一時停止に至るまでの被告人の運転態度をも非難するものの如くであるが、本件訴因外の事情を量刑上重視することは相当とは思われない。)。

一方、本件事故によって生じた結果は、被害者の生命を無惨にも奮い取ったものであって極めて重大である。事故直前の登校しようとする元気な姿から一転して、悲惨な姿に変わり果てた我が子に対面せざるを得なかった両親らの悲嘆は本件記録や公判廷の証言にも顕著なところで、その悲しみの深さは察するに余りある。それにもまして、被害者の迫り来る被告人車両との衝突を避けようとして逃げる間の恐怖や、その末にわずか八歳で突如として路上において人生に終止符をうたねばならなかった無念は、言葉に尽くしがたいものがあると察せられる。

さらに、被告人は公判廷において、事故発生自体に気付いておらず、具体的状況は分からないとして、本件の過失責任を自認することなく、被害者の遺族との間での示談も未だ成立させていないのであって、遺族の処罰感情が厳しいことは容易に理解できる。被告人の刑事責任を軽視することはできない。

三  他方、被告人は、逮捕当初から本件事故を起こしたこと自体は一貫して認めて、被害者の生命を奪ったことに対する悔悟の態度をそれなりに示し、事故後に被害者方を訪ねてその両親に謝罪するなどしていること、公判廷での対応をみても、要するに法的な過失責任の有無については分からないとする趣旨であって、積極的に自己の責任を否定して争うものとまではいえず、一時停止後に発進する際に、その場の状況に相応した十分な安全確認を尽くさなかったとの本件での具体的過失内容に照らして、刑責を免れるための不合理な弁解を弄するものとは直ちに決めつけ難いこと、これまで、道路交通法違反の検挙歴はあるものの前科がなく、妻子と共に普通の市民として特段の問題もなく生活してきたこと、本件起訴に至る経緯が広く報道されるなどして、事案の性質に比しても大きな注目を浴びるに至っていること、被害者の遺族から民事訴訟を提起されており、被告人車両が対人賠償無制限の任意保険に加入していることからして、早晩相応の賠償がなされる見込みがあることなどの事情がある。

四  そこで、以上の事情を考慮し、主文のとおり判決するのが相当と判断した。

(求刑 禁錮二年)

(裁判長裁判官 井上弘通 裁判官 野口佳子 裁判官江口和伸は差し支えのため署名押印できない。裁判長裁判官 井上弘通)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例